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2010年11月の9件の記事

2010年11月26日 (金)

11月25日は三島も狙われました。なかなか消えないのがケムトレイル

旅客機の姿ですから、まさか毒薬や細菌を撒いているとはだれも解らないですね。風がない時を見越して散布するので、長くとどまり、徐々に巾が広くなっていきましたが、風が出てきて箱根の方に移動しながら拡散消滅しました。

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2010年11月22日 (月)

殺された黒木昭雄が追っていたもの

たとえば、みなさん、
この「岩手17歳女性殺害事件」に
二人の佐藤梢さん
が存在することを知っていますか?
1人は殺害された佐藤梢(B)さん。
そしてもう1人は小原勝幸の元交際相手、佐藤梢(A)さんです。
2人は、宮城県内の高校に通う同級生でした。

しかし2人は、単に同じ高校に通う同級生というだけでなく、顔も背格好も髪型までも似た、大の仲良しだったのです。

そして2007年(平成19)2月、二人の梢さんにとって、人生を分ける日を迎えます。
それは、バレンタインデーの頃でした。
この日、学校帰りに立ち寄った宮城県登米市内のゲームセンターで小原勝幸とその友人(同郷の後輩)にナンパされ、2つのカップルが誕生するのです---

ツイッターでの発言はこちらへ



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小原勝幸×佐藤梢(A)
同郷の後輩×佐藤梢(B)―――(ほどなくして破局)

それから3ヶ月後の2007年(平成19)5月1日、佐藤梢(B)さんが殺害される「岩手17歳女性殺害事件」と密接な関係があると思われる事件が発生し ます。
それが、小原勝幸を被害者とする恐喝事件でした。

恐喝事件の原因は、前年、(2006年)の10月頃にさかのぼります。

働き口を探す小原勝幸は、三陸地方の沿岸部に住む30代の男性(Z氏)の紹介で、関東地方の型枠大工の仕事に就くことができたそうです。ところが、仕事の キツさに耐えかねた小原は、わずか1週間足らずで仕事場を逃げ出し、以来、この男性から逃げ続けることになります。2人の佐藤梢さんに出会ったのは、それ から4ヶ月後の事でした。


2007年(平成19)5月1日午後6時過ぎ、
小原勝幸は、「一緒にZ氏のところに行ってくれないか?」と、当時久慈市内の自動車会社に勤めていた弟のユウジ(仮名)に頼み見込んだそうです。

恐喝事件は、それからまもなくした午後6時30分頃起こりました。

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それは、恐喝などというものではなく、リンチとさえ言える手荒なものでした。
Z氏は、小原勝幸に日本刀を咥えさせ、迷惑料名目で120万円の現金を要求し、「金を払わなければ指をおいて行け」と指詰めを迫り、それができないなら、 「保証人を立てろ」と迫ったそうです。
この時小原勝幸は、事件のすべてを目撃していた弟に保証人になるように頼み込みました。しかし弟は、「事件に関わりたくない」と拒否。
結果、Z氏の家の前に止めた車の中で待つ佐藤梢(A)さんの名前と連絡先を「保証人」として紙に書いたのです。

これらは、私が週刊朝日で報じるまで、まったく社会に伝わっていなかった事実です。
おそらく、このブログをご覧のみなさんも知らなかったでしょう。
しかし、それだけではありません。
この恐喝事件以後、金を支払わずに再びZ氏から逃げまわった小原勝幸は、それから約1年後の2008年(平成20)6月3日、突然岩手県警久慈警察署を訪 れ、Z氏を被疑者とする、銃刀法違反、傷害、そして恐喝事件の被害届を提出したのです。
そして、被害届の提出から1ヵ月も経たない2008年(平成20)6月28日、小原勝幸が当時交際していた佐藤梢(A)さんと別人の梢(B)さんを誘いだ し、首を絞めて殺害したとされる、本件、「岩手17歳女性殺害事件」に発展することになったのです。

しかし、もう一つ報じられていない重大な事実があります。
小原勝幸は、この6月28日の昼頃から被害届の取り下げを口にし始めたと、佐藤梢(A)さんが言うのです。
小原勝幸は、なぜ、被害届の提出からわずか25日後のこの日、「Z氏恐喝事件」の被害届取り下げを決意したのでしょうか。深く取材を続けてきた私にして、 この日、小原勝幸がなぜ右手の機能を失うほどのケガを負ったのか分からないのです。しかし、偶然とは思えません。


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一方、岩手県警は、
「息子、小原勝幸から恐喝と銃刀法違反事件として、被害届を受理しているか、その有無について回答してください」とする父親の質問状(平成20年10月 30日付)に対し、「わからない。答えられない」と回答を拒否したのです。
そしてこの「Z氏恐喝事件」は、被害届の提出から1年半にもなる今日現在、まったく手つかずのままであり、Z氏は、一度も取り調べを受けていないといいま す。つまり岩手県警は、他人の口の中に日本刀を押し込み、「金を払わなければ指をおいて行け」と指詰めを迫るほどの極悪人を、野放しにし続けているので す。
こんな馬鹿な話があるでしょうか。

本件、「岩手17歳女性殺害事件」も、「捜査の限りを尽くした」とは断じて言えないものです。
事件関係者に対するヒアリングはおろか、岩手県警は、殺害現場とする小原勝幸の車内に残されていた指紋の照合作業さえ怠り、被害者の死亡推定日時を曖昧に することで小原勝幸のアリバイ証言さえ闇に葬ったのです。
そして驚くことに警察庁は、事件発生からわずか4ヶ月後の11月1日、小原勝幸に捜査特別報奨金として100万円の懸賞金を懸けたのです。しかしその後の 取材で、警察庁刑事局が小原勝幸に懸賞金をかけることを起案した日付が判明しました。その日は、小原勝幸に逮捕状が発布された日からおよそ2ヶ月後の、 2008年(平成20)10月7日だったのです。
当時、1500人程度が指名手配されていました。
その中には、何人もの人を殺害したとされる凶悪犯が複数含まれています。そしてなにより、時効目前にした事件が多数あるのです。こうした状況からいって も、私は、警察庁がなぜ事件から間もない小原勝幸に懸賞金を懸けたのか、その理由がわかりません。

前述した起案日から推測すると、岩手県警から警察庁に対し懸賞金手配の要請があったのは、9月末だと思われます。だとするなら岩手県警は小原勝幸の指名手 配後、2ヶ月にして警察庁に公的懸賞金の要請を行ったということになるのです。手配から2ヵ月といえば、イギリス人英語講師、リンゼイ、アン、フォーカー さん殺害容疑で逮捕された「市橋達也」事件をみるまでもなく、徹底的に容疑者を追い込む時期です。それなのに、懸賞金の要請などできるものなのでしょう か。甚だ疑問です。
繰り返しますが、当時、1500人程度が指名手配されていました。そうした中、警察庁はなぜ岩手県警を叱責することなく、易々と小原勝幸の懸賞金支出を決 定したのでしょうか。

本文をご覧になっていただければわかりますが、小原勝幸が佐藤梢(B)さんを殺害したとする警察の説明は、全くもって説明になっていません。つまり、小原 勝幸を逮捕したとしても起訴することさえできない事件なのです。それなのに警察庁はなぜ小原勝幸に懸賞金をかけることを決断したのでしょうか。
私は、1年半にも及ぶ長期取材の結果、小原勝幸はこの世にいないのではないかと考えています。
警察庁が私と同じ考えを持っているとするならば、それはすなわち、「死者を指名手配し懸賞金をかける」などといった、日本警察の根幹さえ揺 るがす前例のない「大警察犯罪」ということになるのです。


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みなさん、私が身体を張ってまでこの事件に取り組む理由がお分かりいただけたでしょうか。

「三陸ミステリー」

週刊朝日の見出しにこの文が踊ったのはそのためなのです。







「初めにお読み下さい/岩手県警の捜査結果に絶対異議あり!」
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/3935338.html

『たった一人の捜査本部』トップ
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki

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2010年11月16日 (火)

母親の喫煙が、子供を犯罪者にする確率を30%高める。

【11月16日 AFP】妊娠中の母親がたばこを毎日1箱以上吸うと、生まれた子どもが犯罪者になるリスクが30%高まるとする研究結果が、16日の英医学専門誌「Journal of Epidemiology and Community Health」に発表された。

 米ハーバード大学公衆衛生大学院(Harvard School of Public Health)の研究チームは、1959~66年に行われた喫煙習慣に関する調査に参加した女性たちの子どもである33~40歳の米国人4000人の健康データと犯罪歴を調べた。

 その結果、妊娠中に1日最低20本を吸っていた母親の子どもでは、それ以外の子どもに比べて、犯罪者になる確率が30%高かった。犯罪常習者になる確率も相対的に高かった。

■「ある程度の因果関係は認められる」

 精神疾患、家庭環境、貧困など犯罪行動に関連する諸要素を除外しても、母親の喫煙と子どもの相関性が認められ、犯罪者になる子どもの男女差もなかった。 論文は「妊娠中の母親の喫煙と成人の犯罪に強い因果関係があるとは断定できないが、今回の研究である程度の因果関係は認められた」としている。

 これまでの研究では、妊娠中の母親の喫煙と、子どもの多動性障害や攻撃性、青年期の非行の間に強い相関性があることが示されている。

 動物を使った実験で、こうした問題が、発達期の脳、特に神経伝達物質受容体にニコチンが及ぼす生物学的効果によって起きる可能性が指摘されている。犯罪常習者はそうでない人よりも、神経心理学的異常を抱えている場合が多い。(c)AFP

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2010年11月14日 (日)

国の税収37兆円で、公務員給料35兆円の珍しい国。

今年3月 阿久根市の市民会館で市民懇談会をした。
職員と市民が直接の話し合いをする場として設けたつもりだったが、自治労鹿児島は市長の吊るし上げを狙って、県内中から組合員を大動員した。

阿久根市民の「市民との収入格差をどう思うか?」の問いかけに、「言いたくありません」と応じる職員、そのときの会場からの大拍手。
「竹原の改革に協力するつもりはあるのか?」にも、「お答え出来ません」と切って捨てた。
 自治労のホンネ(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=i615HjdqaXU

この様子をマスコミは次のように歪曲して報道したのである。
「まるで人民裁判」…市長主催の「市民懇談会」 -(毎日新聞)
「鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(51)主催の『市民懇談会』が14日、同市の市民会館であり、市長に参加を命じられた市職員労働組合役員ら8人全員が 出席した。市長支持派の市民が『市長の改革に協力するか』と8人を追及する場面も。会場には定員を大幅に上回る1000人近くが詰めかけたが『まるで人民 裁判』との反発も出た。
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「労働者」の判断基準(昭和60年労働基準法研究会報告「労働者」の条件)
1、指揮監督下の労働
2、報酬が提供された労務に対するものであること
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阿久根市役所の場合
1、市長の指揮監督に従うかどうか、職員が自分で決められる
2、(二日酔いなどを理由に)時間休を職員が勝手に取っている
3、賞罰委員会を職員だけでやってきた
4、降格すれば公平委員会に訴える
5、公平委員会も職員OBなどで占めてきた
6、選挙管理委員会も職員OBなどで占めてきた
7、市議会を職員組合に従属させている(職員が条例を決めさせる)
8、降格があっても給与は下げない条例がある
9、投票に極めて強い影響力を持っており、その管理まで担当する
10、報酬が労務の対価ではなく公務員身分に対するものである
11、収入が民間労働者の3倍もある

職員たちは1、指揮監督下にはなく、2、報酬が労務の対価でもない
つまり阿久根市役所正規職員は労働者ではない。

 自治労は警察とおなじ、市民の税金を奪う為に闘い続ける犯罪組織である。労働者を偽装して闘い続ける犯罪組織から市民の財産を守る者が居ない上に、その仕組みもない。
国の税収37兆円に対して公務員人件費は35兆円。この国は公務員が破綻させるのだ。

(”住民至上主義”より)

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2010年11月 6日 (土)

黒木昭雄が練炭自殺するわけがありません。

私が警察官を辞めたわけ
もうこんな組織とはおさらばだ p128-131

警察官だった父への挑戦

  私が二十三年間勤めた警視庁を退職したのは平成十一年二月のことだった。当時、私は四十一歳。私ごとき者にも人並みに「人生」というものを感じるときがあ る。「四十代は人生の踊り場である」と言われるように、杜会人となって一直線に駆け上がってきた人生の階段で、はじめて曲がり角を感じていた。

  振り返れば自分の歩んだ過去が見える。見上げると虚しい人生の終着地点が見えるような気がした。「もう一度過去に戻って人生をやり直すことができたな ら……」と考えることはあっても、それはできない。家庭もあるし、思うほど若くはない。自分勝手に身動きができないのだ。しかし、薄っすらと彼方に見える 将来にも明るさを感じなかった。

 今から二十五年前、当時十八歳だった私は、進学か就職かで悩んでいた。

 父が警視庁の警察官だったため、幼いころから警察官という職業を身近に感じ、憧れを持ちつづけていた。いつのころからか、ひそかに父と同じ道を歩むことを意識していたのも事実だった。

 しかし父に相談しても、
 「俺は警察官になれとも、なるなとも言わないが、警察はそんなに甘くはない」
 と、突き放されるだけだった。

 私は反対されたとまでは思わなかったが、父の言葉に反発を感じ、「親父の鼻を明かしてやろう」と、家族に内証で警視庁警察官の採用試験を受ける決意をした。

  合格通知を受け取ったとき、「俺は警察官になれとは一言も言ってない」と言いながら見せた父のはにかむ笑顔は、今も忘れることができない。以来、私はこと あるごとに父から警察官としての心構えを教え込まれ、頑固者で融通のきかない「警察職人」を自称する父への挑戦がはじまった。

 「仕事 のできない警察官はいらない。警察官は現場が勝負だ。間違ったことをするな。常に反省をしろ」これが父の□癖だった。警視庁の先輩として、仕事に取り組む 姿勢などについて厳しく私を指導した。一方、酒を飲んでは若かりしころの武勇伝を披露するなど、内心は私に大いに期待を寄せていたようだ。

 採用は昭和五十一 二九七六)年のことだった。

 一年間の教養課程を修了し、無事に警察学校を卒業した私は、東京都文京区本郷の本富士警察署に卒配(卒業配置)された。

 当時はまだ学生運動の名残があり、本富士署に近い東京大学の学生とのあいだで小競り合いを繰り返していた。東大では「五月祭」という大学祭が今でもあるが、当時の五月祭はイデオロギーの発露の場でもあった。

後 楽園の裏手にある礫川公園から出発した学生デモ隊は外堀通りを東に進み、順天堂大学を左折、本郷三丁目を経て東大正門に至る。シュプレヒコールの声が変 わったことに気づかなかった私が、デモ隊の渦巻きに巻き込まれ、先輩の必死の枚出によって危うく難を逃れたこともあった。

 このように警察現場をとりまく環境は、今とはちがう緊張に包まれていた半面、警察内部の団結は、今からは想像できないほど強く固いものがあった。私が新米警察官だったころは、そんな時代だったのだ。

 それから約二十三年間におよぶ警察人生の大半を、私は暴力団構成員らに対する銃器・薬物の取り締まり活動に費やすことになるのだが、はじめから誰もが嫌がる恐ろしい相手を対象としていたわけではない。

マニュアルに定められたとおり、はじめは新米警察官の役目として、自転車に乗った一般人を相手に職務質問を繰り返したり、必要性のない交通違反の取り締まり活動に時間を使ったものだった。

 だが、時間がたつにつれて拝命当初の意気込みとは裏腹に、実績ノルマを重ねるだけの毎日に不快な気持ち(ときには暗澹たる気持ち)を抱くようになった。
 「なんで立場の弱い者だけを取り締まりの対象に選び、日々のノルマを達成しなくてはいけないのか。はたしてこのままでいいのだろうか」と思い悩むこともあった。




警察職人への道 p131-133

 そんなある日のこと、管内を警ら中に一人の「不審な人物」に出会った。「不審」といっても、一見、暴力団員風だという以外は、とくに何かがあったわけではない。私は、自分の度胸を試す機会にした。

 「こんにちは、ちょっとすみません」

 と、警察学校で習った型通りの声がけをおこなったが、何の反応もなく、男はすたすたと立ち去ろうとした。このとき私の頭をよぎったのは、父からさんざん聞かされた若き日の「武勇伝」だった。

 「あのね、人があいさつしているのに無視するの?」
 と、こちらから喧嘩を仕掛けた。

たぶん彼の目には「なんだガキおまわり」としか映らなかったにちがいない。

その証拠に「若造、そんなに点数が欲しいのか、もう少し勉強したらまたおいで」とからかわれたのだ。しかし、私は生まれてはじめて暴力団員風の男に声をかけたということに興奮し、相手を勝手に怪しいやつだと決めつけていた。

 「おい、逃げるのか」

 「別に……」

 「おまえ、なんか隠してんだろ」

 完全な見込み捜査だったが、なんとか人定事項(氏名、生年月日など)を聞きだし、無線で照会センターに問い合わせると、男はなんと「覚醒剤の前歴を有する暴力団構成員」だったのだ。

当時はいまほど情報化が進んでいなかったため、無線一本で前歴がバレた「不審な男」は仰天した。なにしろ私自身もはじめての体験で動揺し、互いにオロオロするばかり。じつに滑稽な話である。

 私が有利だったのは、警察官という権力を持つ立場にいたことだ。照会センターとの通話状況を傍受していた担当警部補がいち早く応援に駆けつけてくれた。

 結局、根負けしたその「不審な男」がビニール袋に入った三包みの白い粉を捨てたことを白状し、みごと「御用」となったのだ。

 私にとって卒業配置後半年にしての初手柄だった。以来、数々の薬物事件を手掛けることになったが、そのたびに胸を張って父に報告した。

し かし父は、「書類の書けない警察官が多すぎる、犯人をつかまえても書類に不備があったのでは仕事をこなしたことにはならない」と職人らしい言葉を私に浴び せるのだ。素直に褒めてくれない父に反発を覚えながらも、私は自分に鞭を打ち、文字どおり警察職人としての道を選ぶことになる。

「警察の仕事は階級ではない」という父の言葉は「職人は出世しない」ことを意味している。そのとおり、私は昇任することもなく本富士警察署で九年七ヵ月の歳月を過ごした。

  しかし、覚醒剤所持犯人の検挙を主眼として警察活動をつづけたことや、赤坂警察署に共同捜査本部を設置した多額窃盗犯人を偶然逮捕するというタナボタや、 拳銃五丁を所持していた犯人を苦心のすえに捕まえたことなどもあって、昭和六十一(一九八六)年七月、憧れの「警視庁第二自動車警ら隊」に配転になった。




不当な懲戒処分 p133-135

  私は昭和五十一年四月に警視庁に採用されてから平成十一年二月に退職するまでの二十三年間に、拳銃七丁、実弾七十一発を押収したほか、覚醒剤、大麻、麻薬 などの薬物摘発で各部部長賞を二百回以上、警視総監賞を二十三回受賞したほか、警視庁優良職員表彰、警視庁精励章、警視庁功績章を受賞している。

  警視総監賞は一人の警視庁警察官が生涯に受賞する平均回数が約一・五回以下で、四十年ほど勤めあげても一、二度受賞できるかどうかというものだから、私の 警視総監賞受賞二十三回という数はずば抜けて多いわけだ。その多くは、私が警視庁第二自動車警ら隊(二自ら)に所属していたときの「勲章」である。

  私がなぜあえてこの受賞経歴について記したかというと、なにも自慢したいからではない。それは私が不祥事や成績不良によって警視庁を追われたわけではな く、それどころか警察官として誇りをもち、その職務を全力でまっとうしてきた人間だということをきちんと理解してもらいたいからである。

  自動車警ら隊は警視庁警察官にとってあこがれの花形部署だ。私のいた「二自ら」は、暴力団に対する検挙活動では全国警察一と言われ、警察署単位の管轄区域 を持たずに束京二十三区で主に所轄署支援を目的として警察活動を展開する、パトカー約四十台、隊長以下隊員数二百五十名で構成される精鋭集団だった。

 しかし、私の八年七ヵ月におよぶ自動車警ら隊生活は、まったく予期せぬトラブルがきっかけで幕を閉じることになった。

詳しくは拙著「警察官は銃弾を込め、撃鉄を起こした」(草輝出版)などで明らかにしているが、要は上司との酒の上の些細な揉め事で「暴力警察官」の汚名を着せられ、組織的陰謀ともいえる不当な懲戒処分を受けたのだ。

 私が処分を受けたのは上司とのトラブルから一年四ヵ月もたってからのことだった。

きっかけは、本庁の人事一課監察係への匿名のタレコミだった。あとでわかったことなのだが、タレコミ者は「黒木を処分しないと、マスコミに情報を流す」と脅したという。

 結局、組織はマスコミを怖れ、私の不当な処分に踏み切ったのだ。

 平成七(一九九五)年二月二十三日付の処分説明書にはこう書かれている。

〈第 六中隊の秋の一泊レクで栃木県下へ旅行した際、宿泊ホテルで行われた宴席において、担当小隊長に酌をしようとして体調不良を理由に断られ、なおも執拗にこ れを勧めたところ、同小隊長から平素の不行状を指摘されて激高し、更に仲介者に罵冊雑言を浴びせた上、同小隊長の胸元をつかみ、同人の顔面を殴打するな ど、職員としてふさわしくない行状をなし、規律を乱した〉

 一般読者にはわかりにくいかもしれないが、警察官や検察官など法律に携わっている者ならば、一瞥しただけでわかるほど、この処分説明書は不完全なものだ。

  警察書類は、「いつ、どこで、だれが、なにを、どのように、どうした」という5WIHの最低六項目から成り立っており、そのなかのどれか一つが欠けていて もすべて却下されるのだ。警察学校の学生でさえ知っているこの六項目を、まさか警視庁本庁の頭脳集団が知らないわけがないだろう。

それなのに、この処分説明書には「いつ」という日時が記載されていない。処分説明書は刑事事件では披疑事実の要旨に相当する。犯罪の日時が特定されなければ、当然、事件として立証されない。これが、私に与えられた処分の実態だ。

 警察官として語り尽くせぬほど頑張りつづけた結果が、納得できない「懲戒処分」だった。言いようのない虚しさと先行きの不安に、目の前が暗くなる思いだった。

 そして、私は警視庁荏原(えばら)警察署への配転となったのだ。



発端となった署内「マリンクラブ」の結成 p135-138

 どれほどの実績を残し、どれほど社会に貢献しようとも、非情な警察社会はわずかな過ちも忘れようとしない。それどころか、見せしめ的な仕打ちと差別は半端ではない。

 平成七年三月のオウム真理教への強制捜査以後、警視庁の全警察官に対して「オウム憎し、全信者を検挙せよ!」という命令が発信された。

  全国に張りめぐらされた警察の車輛監視装置「Nシステム」にはオウム真理教関係の全車輛が登録され、一日何回もオウム車輛をヒットさせた。それはただちに 「オウム情報」として警察無線に流された。相手がオウム信者ならば、たとえわずかな罪でも寄ってたかって逮捕しろというのである。

 これがいわゆる「オウム狩り」だ。

 オウム狩りに積極的に参加した警視庁の警察官は、「特別昇給」システムによってほとんどが昇給した。しかし、例外的に私だけは取り残された。懲戒・戒告処分を受けた私には、もはやそんな権利などなかったのだ。

 私は挫析感にも似た焦燥感にかられた。顔に出さなくとも心の中では、何か重たいものが堆積していくように感じられた。そんななかにあって、あらためて前述の理不尽な処分に屈辱を感じつづける毎日だった。

 この項の冒頭でふれたように、四十代は人生の踊り場という言葉を実感として感じたのはこのころだった。あるとき、そんな私の心のすきまを埋める一冊の本に出会った。ヨットで全国を巡るクルーが、困難な状況下で果敢に自然に立ち向かう姿が描写されていた。
「海か……」

 それがきっかけで、私は自分の趣昧として海に出ることを考えるようになった。

 平成九年十一月、私は友人の勧めで小型船舶操縦士免許を取ることを決めた。同僚のA巡査長も同調し、ともに受験し合格後、早々に一隻の小型クルーザーを購入した。

 仕事を離れ、船には警察官としてではなく友だちとして集まった。海の世界には階級も男女の別もない。すべてが平等で、経験が優先される。

 岸壁から見る景色と船から見る景色は明らかにちがっていた。

おかげで、固定観念にとらわれず、多角的にものを見ることができるようになれた気がした。それが私の人生観に変化をもたらしてくれたのだろうか、人生はいつ果てるとも知れない、だから仕事のトラブルなんか小さなことだと思えるようになった。

 船に集まる友人も五十人を超え、やがて常連として乗船する「クルー」が生まれた。どこからともなく「クラブをつくろう」という声があがり、話は一気に具体化した。

 M巡査長は一級小型船舶操縦士免許を持っている。だから彼が初代会長となった。会の規約もつくり、会報も発行した。会計係は女性警察官のS巡査長とM・O巡査長、そして前出のA巡査長が担当することになった。
さらに四人の巡査長が中心になってクラブの企画立案に携わり、相談役としてS警部補が名を連ね、総勢十名の「マリンクラブ」が署内に誕生した。

 テレビの刑事ドラマなどでは警視庁の警察官は仲間同士の固い結束が売り物のように描かれているが、あれはウソだ。

組織がでかいだけに、内部の人間関係は殺伐としたところがある。

転勤直後は連絡を取り合うことはあっても、行った先の水に慣れれば、前任警察署のことなど忘れてしまう。寂しい話だが、それはどこに所属していても言えることだ。

さらに、警察はれっきとした階級社会だから、職制も内動と外動に分かれ、上下関係が優先され、いつまでも同じ思いの中では生きていけない。人はいずれ変わってしまうのだ。

 わがクラブの会員はほとんどが経験十年以上の警察官だった。一所属(一警察署)しか経験のない青二才はいなかった。みんな心のどこかで警視庁のすさんだ人間関係を感じとっていたのである。だから、生涯を通して付き合える友人を船に求めたのだった。

 クラブ員のあいだから、いつしか「俺たちも免許を取ろう」という声があがった。

それは海に魅了された結果であり、安全意識の高まりでもあった。三ヵ月以内を目標に受験勉強がはじまった。

海技、法規、ロープワークなどに真剣に取り組み、平成十年八月、十名のクラブ員のうち八名が小型船舶操縦士免許保持者となった。

しかし、このことが私が警視庁を退職するきっかけになろうとは、想像すらできなかった。




狙い撃ちされたクラブ員 p138-143

 それは、平成十年十二月三日の朝のことだった。われわれクラブ員は突然、上司からの呼びだしを受けた。全員がバラバラにされ、「犯罪者」として取り調べを受けたのである。

上司はすでにわれわれの会報「舵」を手にしており、「違法行為」に手を染めた不穏な連中として取り調べがおこなわれた。当目、われわれは非番で、前夜は布団に入ってゆっくり寝ることもできないという悪コンディションをねらった打ち込みだった。

調べの骨子は以下のとおりだ。


一、「危険なレジャー」であるマリンクラブの結成目的

二、届け出を怠って免許を取得した事実

三、乱れた男女関係

四、ゲストの勧誘行為

五、クラブ員の経済的負担


 取り調べ対象者は、クラブ員以外のゲスト(ぃずれも署員)にまでおよんだ。「なんとしても決定的な違法行為を探しだす」という組織の強い意思が感じられた。しかし、彼らに決定打はない。

クラブ員の誰一人として法に触れた事実はないし、また、非難にあたいする非倫理的な行為もいっさいおこなっていないのだから当然だ。

 午後にまでおよんだ取り調べからつぎつぎに解放されたメンバーは、荏原警察署の独身寮「荏原寮」に集まった。クラブ員の結束は固い。「誰にも話すなよ」と口止めされても、取り調べ内容を突き合わすなど知れたことだ。

 誰もが上司に対して事実をありのまま答え、隠し立てなどいっさいしなかった。

われわれの活動は署内でもオープンにおこなわれており、署長以下の幹部に事実上、認知されていたのだ。だから罪の意識もまったくなく、雰囲気はいたって明るかった。しかし、会計を担当していた女性警察官のS巡査長からの電話で、その雰囲気は一変した。

 S巡査長はその日の午後、子供の学校で個人面談があるため、半日休暇を申請し、許可が下りていた。しかし、彼女は当時直属の上司で現在警察庁情報管理課に勤務する豊泉哲男警部に缶詰め状態にされ、半日以上にわたって陰湿かつ執拗な取り調べを受けていたのだ。

 調べのはじまった当日の朝、彼女が午後には個人面談に行きたいと言うと、
 「今は子供の個人面談なんて言ってられないだろ」
 と怒鳴られたという。

  机の上に白紙と鉛筆が置かれ、住所、氏名、職業、生年月日、出生地、家族構成、同居親族の有無、家族の年齢、初任科期別教場、拝命年月日、着任年月日を書 かされた。それらは人事記録に書かれている事柄であり、上司である豊泉警部が知らないはずはないのに、それをあえてしたというのは、「おまえは警察官を辞 めたいのか。本当のことをしゃべろ、こっちは全部知ってるんだぞ」という脅し言葉に、より具体的な迫力を持たせるための悪質な演出なのである。

 昼食も取調室に運ばせ、トイレにも立ち会い、家族への電話にも立ち会うという脅迫的かつ屈辱的な取り調べ手法は、私が第二自動車警ら隊時代に体験した人事一課監察係のそれとまったく同じだった。

 取り調べがS巡査長のクラブでの役割におよんだとき、豊泉警部は待ってましたとばかりにクラブの出納簿、貯金通帳、キャッシュカードなどを取りあげたのだ。

 いかに閉鎖的で「特殊」といわれる警察杜会においても、これは異常なやり□だ。

豊泉警部に不法領得(自己または第三者のものにする目的で他人の財産を奪うこと)の意思がないにしても、何の手続きもなしにS巡査の所持していた貯金通帳などを数日間にわたって取りあげるとは、まさに犯罪行為である。

 さらに、「届け出なく試験を受けた行為は内規違反、危険なスポーツを未届けでおこなった行為は服務規定違反だ、場合によっては人事にかかわる」と脅した行為は脅迫罪を構成する。

しかし、豊泉警部の「犯罪」はいっさい不問に付され、S巡査長への執拗ないやがらせだけが以後もつづけられることになる。出勤時に携帯電話を取りあげ、退庁時に返されるという日々がつづき、ミニパトカーヘの乗務も禁じられてしまった。

 そのS巡査長から電話が入ったときは夜七時近くになっていた。彼女は怯えた声で、
 「いま、署を出たところだけど、公安係(警備課公安係=各警察署に十人ずつぐらぃ配置)のT警部補とS巡査部長に尾行されているの」
 というのだ。

われわれは動揺するS巡査長にすぐにそちらに向かう旨を告げ、荏原中延駅前の交番前で合流することにした。少し前の明るい雰囲気は消え、クラブ員の心の中には憤怒の波紋が広がっていた。


 到着したわれわれは、駅前の少し離れたところから公安係の二名がこちらの様子をうかがっているのを確認した。「これは偶然じゃないぞ」仲間の一人がつぶやいた。

われわれは全員で電車に乗った。いつしか「追っかけ要員」は他所属(他の警察署)の公安係員と入れ替わっていた。一名は以前、荏原警察署公安係で勤務していた男だったが、悪びれた様子もなく、堂々とわれわれの前の席に座り、監視しているのだ。

 われわれは結局、五反田駅で降りて居酒屋に入った。彼らはわれわれの足取りをとらえ、そこで「消えた」(おそらく、その後は秘匿配備に切り替えたのだろう)。

 そこにはS巡査長を含めて七人のメンバーが集まっていた。そして、冷静に一日を振り返った。

「人に刺される理由はない、警察幹部は証拠たるものを握っていたわけではない、なんらかの謀略がそこにある」それが警察官としての一致した見解だった。

 しかし、現職の警察官がゾロゾロと公安に尾行されるのだから、まるでマンガのようなお粗末な話である。自然に笑いが洩れた。

 そんなことがあった翌々日の十二月五日、今度は私が個別に上司に呼ばれた。

 「クラブの解散は考えていないのか? 船の売却を考えろ」というのだ。

私は「個人の財産処分にまで、命令ともとれることを言われる筋合いはない」ときっぱり断った。

 そして逆に、
「この数日間われわれに尾行までつけて大々的に調べたようですが、われわれに何か警察的不具合はありましたか」
 と質問をした。

 「それは別にない」
 とT警部は言う。

 「なんで後ろを気にしながら歩くのか」
 と、みずから尾行の事実を認める間抜けな発言をしたS巡査長の直属上司の豊泉警部は、意地悪もそこまでいくとお粗末にすぎる。

 なぜ、われわれに尾行をつけたのか。そんなことは当事者となった人間が上司に聞くことではないが、私は当時、信頼できる上司だったがゆえに、あえて公安係のE警部に聞いた。彼は「俺はまったく知らない。俺はそんな汚いことはしていない。信じてくれ」と真剣に言った。

ならば他所属員まで使って「作業」にあてられる立場にあったのは、現在、某警察署で警備課長の職にあるT警視(当時、荏原警察署警備課長)と、現在警視庁の警備部理事官の職にある唐崎(からさき)郁夫警視(当時、同副署長)だけだ。





嫉妬から生まれた追い落とし工作 p143-146

 結論から言うと、一連の「事件」は、唐崎副署長の私に対する「嫉妬」が原因という、じつにくだらない話だったのだ。

 ここで、当時の荏原警察署幹部と私の関係について若干ふれる必要がある。

 まず、佐藤安行署長は私が本庁の第二自動車警ら隊に所属していた当時の副隊長で、警備課長のT警視は第三中隊当時の直属の中隊長だった。

さらにクラブの相談役を引き受けてくれたS警部補も第三中隊の先輩で、そんな気心の知れた関係にあったため、私が他の署員とはちがった親密さで幹部と接していたことは否定できなかった。副署長の唐暗警視には、それが気に入らなかったのだ。

 「唐崎副署長がね、『あいつ(筆者のこと)は署長に呼ばれて署長室に入るとなかなか出てこない。中から笑い声が聞こえてくる。俺を無視していた、だから俺は黒木を辞めさせたかった』って言ってたわよ……」
 と、当時唐暗副署長からしつこく交際を迫られていたという荏原警察署出入りの女性生保勧誘員が私に語った。

 「事件」から四日後の十二月七日、私とS警部補の二人が、突然、配置(係)換えを命じられた。

その理由を尋ねても、当時の担当係長は何も答えなかった。結局、署をあげてわれわれを調べた結果、処分にあたいするものが何も出てこなかったのだが、署長の息のかかった二人をそのまま捨て置くわけにはいかず、一般の内部異動として処理しようと考えたわけだ。

署長を含めたわれわれ三人の関係は周知の事実で、退職を目前にした署長が表向きS警部補と私をかばうことはできなかった、というのが当時の署員たちのおおかたの見方だった。

 数目後、地域課長のF警視から、
「黒ちゃん、始末書を書いてくれ」
 と言われた。

 「何の始末書ですか? 追っかけまで付けて大騒ぎして、今回のことはたかだか始末書程度のことだったのですか」
 と私は意地悪く尋ねた。

 「黒ちゃんは、無届けで船の免許とったでしょ。届けなしにクラブもつくった。だから始末書を書いてもらいたいんだよ。雛形は用意しておくから。もし書く意思がないなら、署に来てもらっては困る……」
 と言う。

それは承服しかねる始末書の要求だった。「バカにするのもいいかげんにしろよ、叩けば何かが出ると思い込んで、お前らが勝手に話を大きくしておきながら、最後は始末書だって。
書かなければ署に来るな、か。上等じゃないか、こっちから辞めてやるよ!」と言ってやりたか った。しかし、その場は「ぐっと」我慢することにした。

 そして、事態収拾のためにメンバー全員が同じように始末書の提出を求められた。「これは強制ではないからな」と言いなから雛形どおりに書けというのだ。

W巡査長への扱いはとくに面白かった。「俺は車の免許もないんだぜ、船の運転なんかできないよ」とみんなを笑わせて受験しなかった彼の扱いには、荏原警察署幹部も苦心したようだ。

始末書の理由は「無届けで危険なマリンスポーツであるクラブに参加し、船に乗った」という「罪状」である。

 「ばか言うなよ、それじゃ釣り舟に乗ってる連中もみんな始末書だな」と、いまとなっては笑い話以外のなにものでもない。


反撃ののろしを上げる p146-147

 私自身の意思はすでに固まっていた。

 前述した第二自動車警ら隊当時に受けた屈辱的な処分の一件で、
「俺は以後、納得のできない組織の対応には従わない。納得できない始末書を求められたら、迷わず退職願を書く」
と、腹を決めていた。だから迷いはなかった。

 「我慢もここまでだ。親父ゴメン」

 私は仲間に退職の意向をひそかに伝え、「大警視庁」を相手に戦う作戦を立てた。

 まず、十二月八日、出勤早々に体調の不良を上司に申し出た。それも精神的不調である。ただちにタクシーで警視庁健康管理本部に案内され、担当した氏田章子氏のカウンセリングを受ける
ことになった。

 「頭がボーッとなるんです。イライラするんです。不安に襲われるんです」

 症状を訴えると、当惑した氏田氏は、私が事前に予想していたとおり、東京警察病院の神経科への受診を勧めた。

警察病院の診断結果は「不眠症」だった。

「おおむね一週間の自宅加療を要す。」
との診断書を受け取り、以後、その診断を更新しながら翌平成十一年一月まで合法的に休みつづけ、告発本の第一弾の執筆にとりかかったのだった。

 私の退職の意思を伝え聞いて小躍りしたのは唐崎副署長と豊泉警部だろうが、今となっては立場は逆転した。私が人生の踊り場でもがき苦しんでいたとき、今の立場(ジャーナリスト)に導いてくれたのは、まぎれもなく彼らなのだ。

そして今また、警察を愛するがゆえにこの本を書くことができた。あらためて感謝の意を表したい。


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大気エアロゾル(微粒子)週間予測

2010年11月6日 発表
今日・明日の詳細予報はこちら
各地域の上側は大気汚染粒子の指標,下側は黄砂の指標
11月6日 11月7日 11月8日 11月9日 11月10日 11月11日 11月12日
北海道 汚染 やや多い やや多い やや多い 少ない 少ない 少ない 少ない
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
東北北部 汚染 やや多い 多い 多い やや多い 少ない 少ない やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
東北南部 汚染 やや多い 多い やや多い やや多い 少ない 少ない やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
首都圏 汚染 少ない やや多い やや多い 多い 少ない 少ない やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
北陸信越 汚染 少ない やや多い やや多い 多い 少ない やや多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
東海 汚染 少ない やや多い 多い 多い 少ない やや多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
近畿 汚染 やや多い やや多い 多い やや多い 少ない やや多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
中国 汚染 やや多い 多い 多い 少ない 少ない 多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
四国 汚染 やや多い やや多い 多い やや多い 少ない やや多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
九州北部 汚染 やや多い 多い 多い 少ない 少ない やや多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
九州南部 汚染 多い 多い 多い 少ない 少ない やや多い やや多い
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
沖縄 汚染 やや多い やや多い 多い 多い 少ない やや多い 少ない
黄砂 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない 少ない
11月6日 11月7日 11月8日 11月9日 11月10日 11月11日 11月12日

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2010年11月 4日 (木)

秋風一夜百千年  一休

「秋風一夜百千年」(一休)

(こうして秋風の中で貴女と過ごす一夜は、私にとって百年にも千年の歳月にも値するものですな。)

「骨かくす皮には誰も迷いけん 美人というも皮のわざなり」(蜷川新右衛門)

「しんえもんさん」は、一休さんの実在の弟子です。

50才も年の違う盲目の美女と暮らし始めた一休に対しての一句。

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2010年11月 3日 (水)

欺されない市民の反撃が始まりました。

11・5マスコミの偏向報道を許さないデモ開催情報・・前代未聞!市民に糾弾されるマスコミ

10月24日組織動員もなくネット上の口コミだけで実数で1000人もの国民が集まった”検察検審を糾弾するデモ”(小沢支援デモ(動画) http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-758a.html)を主催した”権力とマスコミの横暴に抵抗する国民の会”が、11月5日に”マスコミの偏向報道を許さないデモ”(明治公園午後6時30分集合)を行われるそうです。残念ながら今回も参加できませんが、名古屋からエールを送ります。
115

デモの詳細は主催者のブログ(http://kennryoku-teikou-kok.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-28f3.html)をご覧ください。各人光るものを持ち寄るというドレスコードですので、中にはクリスマス電飾持ち込む人もいそうで、動画中継が楽しみです。(1万人以上のデモでもマスコミは無視するでしょうが、フリージャーナリストのネット動画中継は予定されてます)


真実に目を瞑り、特定勢力の意図をうけたかのような露骨な印象誘導を繰り返すマスコミ報道の恥知らずな現状には、ほとほと幻滅させられる今日この頃です。
しかし、その冤罪製造機関ともいえる異常なマスコミ報道のおかげで、マスコミに叩かれる小沢という人物に興味を持ち、その実像を知り、支援しようという気持ちになれたんですから、天のめぐり合わせは面白いですね。

真実の番人であるはずの報道人のくせに、ネット上でも入手できる事実を確かめることもせず、機密費もらって毎晩クラブ通いしているような編集幹部 が、平気で現場取材を封殺する。そんな編集幹部が、情報ゴロからもらったガセネタに飛びついて、欲ボケした頭で勝手なストーリーをつくって、日本の未来を 担う有能な政治家を冤罪に落とし込めるわけですから、文字通り国賊だと思いますね。
国民の声を代表するような顔をしているマスコミが、国民から抗議されるという前代未聞の国民デモの動画を世界に発信することで、日本の報道機関のインチキぶりを広げてもらいたいものです。

この名古屋でも、不毛な河村市長つぶしで本領を発揮した、税金泥棒の市議会議員に対するリコール署名が、1か月で46万名分も集まるという奇跡的成 果が実現しました。しかし、市議会OBで形成される選挙管理委員会(委員長名・伊藤年一・イ・スンイル)の後だしじゃんけんの言いがかりで、法令に反して 審査期限を延長し、実質無効状態にされるということが平然と行われています。おかげで、スケジュールが大幅に狂ったようで、ずれたスケジュールでリコール が実現された場合には、市長・市議会不在で来年度予算が組めず暫定予算しか組めなくなるという状況に追い込まれてしまいました。

どうも市議会派の連中は、それを理由に住民投票でのリコール阻止を狙ってようで、それに気づいた頭の回転のいい市民の怒りは沸騰状態です。

今まで、国民は、地方議員でも、国会議員でも、政治を稼業としてきた人たちにさんざん失望させられてきましたが、どこかでなんとかしてくれるという 期待をもって見守ってきんではないでしょうか?マスコミについても真実しか報道しないものと信じきっていたんじゃないでしょうか?しかし、実態は、都合の 悪いことは一切報じないくせに、うそか本当か分からないガセネタは、”関係者によると”報道で垂れ流して印象誘導に利用する有様で、あまりにもの腹黒さが 浮き彫りになり唖然とさせられてばかりです。

彼らを信じて、こつこつとまじめに働いて生きてきたのが日本国民です。その堪忍袋の尾が切れるときがきたのかもしれませんね・・・。こんな当ブログの記事にも共鳴して、直接応援のメールをいただいたりしています。時代は大きく変わるのかもしれません。


再来年には本格的なドル崩壊がおきそうです。ドル建てにされている日本の金融資産は三分の一くらいに激減するでしょう。輸入のためのお金 に事欠くようになれば、生きるうえで欠かせない食糧もエネルギーも外国からの輸入に頼っている日本では、国民のなかの多くの人間が飢餓線をさまようはめに なるかもしれません。
そうした近未来が予見できる今だからこそ、能無しの議員や、マスコミ幹部に、高いギャラを払ってる余裕はないと、なんとかしろと危機意識をもって自立した無名の国民が立ち上がり始めたのだと思います。

既得権に守られピンはね益で富裕層ぶってる連中も、マネーゲームをしている余裕がないことに気づくべきです。

欧米先進国の世界金融バブルの本格的崩壊はすぐそこにまで来ている気がします。

・・その先にあるアメリカマフィアの損失補てん=肩代わりによる日本の金融資産消滅=日本沈没・・。

近未来の激動の時代を乗り越えるには、富裕層も、マネーゲームに費やされているような不毛な蓄財を吐き出し、国民全員で生き抜くため、最低限エネルギー・食糧確保のインフラ整備に参加しなればならない段階だと思います。

マスコミ報道はけっして伝えませんが、世界自由貿易市場の拡大は、貧困の増大と、一握りの富裕層の資産の肥大化という現象と表裏一体で進行しています。
グローバル化で世界が発展し成長しているというのは、トータルで見た場合の話で、そこに生きる個々人の視点からみたら、逆に大部分で貧しさが広がっているというのが実態ではないでしょうか。

豊かな自然に恵まれ、自給自足で暮らしていけたはずのアフリカの人たちがどうして何百万人も餓死するような状態に追い込まれたのか?

近代農業を取り入れ生産量を飛躍的に伸ばした分豊かになるはずのインドの農民が、どうして借金づけの経済困窮に追い込まれ、何万人も自殺においこまれるようになったのか?

世界一の経済大国アメリカで、何千万人も医療費が払えず満足な医療を受けられないのはどうしてか?

コイズミ総理に痛みに耐えてがんばれといわれ以来、10年もがんばった挙句、サラリーマンの給料が下がり続けているのはどうゆうわけか?

優良な中小企業でも投資資金を貸しはがされているのに、世界中でマネーがだぶつき投機先を求めてさまよっているのはどういうことか?

これらのことを見るだけでも、マスコミが振り撒いてきたグローバリズム神話というものが、いかにいんちきかということがよく分かります。

マスコミ報道は、グローバリズムがはらむ単純な法則を隠蔽しています。

ピンはねできるものは世界規模でピンはねできるので、一握りのピンはね競争の勝者は、莫大な資産家になります。反面、大多数のピンはねされる側の人 間は、世界規模で、ピンはね率の高い、富の再配分が極端に低い労働者と競争させられるわけですから、どんどん貧しくなるのはあたりまえのことです。

こうした、ひとりひとりの人間にとっては、不幸の拡大再生産になりかねないグローバル経済原理の実情をマスコミはけっしておおっぴらには解説させません。

本来ならば問題点を明らかにした上で、それを解決する新たなルール作りが必要なのです。

それを制御する政策を提示することもなく、グローバル信仰を振り撒く単純馬鹿が民主自民のネオコン連中ですが、それを世論誘導で支えているのがマスコミです。

彼らを若いということで持ち上げる反面、TPP 参加慎重派を、まるで抵抗勢力のように印象誘導しているマスコミ・・・その罪は限りなく重いと思います。


11月5日が、集結した数千人の市民により、いんちきマスコミが糾弾される記念すべき日になることを祈ります。

そして、実在しない二回目の検察審査会議決により不当に政治生命を抹殺されようとしている小沢一郎氏を、不当な印象誘導報道から守る力になってくれればと期待します。

グローバリズムの歪みを超克し希望に導くヒントを、小沢一郎氏の演説から感じ取ることができました。こんな思いを持つ数少ない政治家のひとりである小沢一郎が冤罪で抹殺されるような日本国であってほしくありません。

以下に演説の抜粋を再掲します。小沢氏の言葉を思い浮かべながら、その彼を抹殺しようとするマスコミ報道に怒りを燃やし、11・5に集まった人たちに共にエールを送ってもらえれば幸いです。
Dsc00435

暗雲を切り裂く光を日本最古(470年前)の犬山城天守閣からのぞむ

以下 書き起こし
9月14日民主党代表選挙・投票直前の小沢一郎の演説(抜粋)

”世界でもっとも層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでいます・・・一番大切にされなけれ ばならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまれ・・・・社会の仕組みそのものがこわれ・・・日本人の精神 風土も荒廃し始めています・・・改めて申し上げます・・政権交代が実現したのは、こんな日本をなんとか変えてくれという国民の悲痛なまでの叫びからだった はずに思います・・”

”私には夢があります・・役所が企画したまるで金太郎飴のような町ではなく、地域の特色にあった町づくりの中で、お年よりも小さな子供たちも近所の 人たちも、お互いが絆で結ばれて助け合って生きていく社会・・青空や広い海や野山に囲まれた田園地帯と大勢の人が集う都市が調和をもたらし、どこでも一家 団欒の姿が見られる日本・・・その一方で、個人個人が自らの意見を持ち、諸外国と堂々と渡り合える自立した国家日本・・・そのような日本につくりなおした いというのが私の夢であります”

”日本人は、1000年以上前から共生の知恵として”和”の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。”

”われわれに期待されているのは、いびつになってしまったこの国の形と日本人の生活をもう一度よみがえらせる大改革なのであります。”

書き起こし 以上        (橫田管工ブログより)

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2010年11月 1日 (月)

竹原市長の”専決処分”の中身

ことごとく反対する反対派議員を相手に公約を実現する方法は
市長に与えられた権限である専決処分を使う以外になかったのです。 

「専決議案が承認されなくても専決優先で有効」(総務省の説明)

 一部マスコミや反対派議員が言っている「専決処分が違法だ」というのは「根拠のない嘘」です。

 専決処分で決定した主な議案
1、 副市長の選任
2、 「市長、議員、職員のボーナスを半分にする議案」
3、「議員の日当制」
4、法人市民税、固定資産税の値下げ
5、手数料を値下げ

※税金を下げれば阿久根市は国、県の補助金は貰えないと言うのは反対派議員が職員組合から教えられた根拠のない話です。
市内の小中学校の校舎の改築や道路の改良、補修工事、そのほか市民の
生活に必要な事業は順調に進んでいます。

※基金(予算不足の時のための貯金)は計画的に積み立ててあります。
平成21年度末 の積立金は33億9600万円
(前年度に比べ6億3,300万円多く積み立てる事ができました)

 これまで市民の為に実施された主な政策
1、浄化槽の管理費が下がりました。
2、市民に対する市役所の職員の態度が見違える様によくなりました。
3、辺地の交通手段解消のため手始めに大川地区で乗り合いタクシー実施
4、ゴミ袋の値段が半分に値下げになりました。
5、保育料が約半額になりました。
6、学校給食費の半額補助は反対派議員の反対で補助できなくなりました。
このほかにも沢山の市民の為の政策が進められています。

この改革に反対するのが、市の職員組合(自治労傘下)と、多数の議員なのです。
市民不在で強欲な利己心丸見えの連中です。  
 

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